琉球古典漢詩シリーズ1  

 蔡大鼎集
  -Saitaitei Shu-

 

   
      蔡大鼎集(さいたいていしゅう) 

taitei-b.jpg (7257 バイト) 

◇体裁:A5版2冊組/1,060頁
上製化粧函入

◇定価:27000円(税別)

★限定500部(番号入)

刊行:1997年11月

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☆本書の概要

琉球の古典『蔡大鼎集』
江戸時代末期から明治にかけて活躍した琉球出身の詩人蔡大鼎(和名 伊計親雲上=いけいぺーちん)の残した漢詩集『びん山游草』 『續びん山游草』 『北燕游草』という三漢詩集にあるすべての漢詩655首に注と現代語訳をつけた初の本格的琉球古典書。

『びん山游草』:1860年(江戸時代の万延元年)琉球首里の王府より命令を受けた蔡大鼎が、初めて中国の福州に赴いた時に詠んだ漢詩を集める。慶 良間で2ヶ月にわたる風待ち、また八重山にも船が流されたために、慶良間、八重山の自然や人々の暮らし、名所旧跡を詠む詩も多く、未知の大地に対する憧 憬、さらには望郷の思いに富み、ロマンに満ちている。沖縄学を確立した東恩納寛惇(ひがしおんなかんじゅん)は好んでこの作品を読んだようで『黎明期の海 外交通史』を始めとする著作によく引用されている。比較的若い頃の作品であるためか、故事の引用など多くいささか難解な点もあるが、それだけに荒削りな生 き生きとした活力が読み取れる。

『續びん山游草』:琉球王尚泰の冊封(琉球王と正式に認める儀式)にやってきた趙新を送って中国に赴いた琉球官吏を迎えるために、1867年福州ま で行った蔡大鼎がその時詠みあげた詩を集めたもの。自然をテーマにした詩が多い『びん山游草』に比べ、心の思いを綴る詩が多く、思索に富むどっしりとした 内容となっており精神の充実を示す作品である。

『北燕游草』:1872年、進貢使の一員となり福州に渡り、中国皇帝に謁見するため福州から北京まで赴く道々で詠んだ漢詩を集めたもの。那覇から福 州までの道々をうたいあげたのが『びん山游草』であり、『續びん山游草』であるのに対し、これは福州から北京までの中国大陸をうたう大紀行漢詩ということ ができる。自然、交通、思索、望郷と内容も豊富で、大鼎詩の完成を示すと同時に、伝統の琉球紀行漢詩の一頂点をなす作品ともいえる。また400年間にわた る進貢使の歩んだ道をたどり、偲ぶにはもってこいの資料となっている。

☆作者・訳注者について

◎作者=蔡大鼎(さいたいてい)


蔡大鼎は、1823年に那覇の久米村(現在の那覇市久米から久茂地[=くもじ]一帯)で生まれる。字を汝霖、和名を伊計親雲上(=いけいぺーちん/親雲上 は地位名)という。代々久米の人達は中国との交流関係の仕事についたが、大鼎も通事の道を歩む。37歳のころ中国福州に渡ったのを始めに、44歳の時には 再び福州に赴き、通事としての地位を高める。親思いで豊かな感性に富んだ蔡大鼎は漢詩にも長け、前後2度の旅で『びん山游草』 『續びん山游草』を残す。

1872年、筆頭通事となり北京の中国皇帝に謁見する進貢使の一員として北京まで赴く。この間道々で詠みあげたものが『北燕游草』である。こうして 地位も評価も上がった蔡大鼎であったが、明治9(1876)年突如、彼を嵐のまっただ中へ放り込む。日本に明治新政府が成立した後も、従来通り中国との関 係を続けようとする琉球に対し、その関係を断つよう圧力がかかる。琉球尚泰王は日本の圧力を跳ね返すべく密使を中国に派遣。向徳宏、林世功と並び蔡大鼎も 密命を受け中国へ。以降彼は中国に滞在し、琉球国の窮状を訴え、明治12年琉球国が消え去った後も執拗に琉球国復興のための軍隊派遣を要請するなど、陳情 活動を続ける。林世功は毒を呷って自害、蔡大鼎は果たされることなく異国中国で客死する。彼はこの陳情の日々を記録し『北上雑記』という雑文を残してい る。

◎訳注者=輿石豊伸(こしいしほうしん)
昭和49年より12年間沖縄に住み、尚学院で教鞭をとる。この間琉球漢詩の研究に励む。明治人物研究及び琉球古典漢詩刊行(有)オフィス・コシイシ代表者。著書に『びん山游草』(あき書房) 『北燕游草』(オフィス・コシイシ)

☆出版にあたって

沖縄県は明治12(1879)年に日本の1県となったのですが、それまでは琉球国と称していました。室町時代は東南アジアの品々を日本や中国、朝鮮 に、また日本や朝鮮の品々を中国や東南アジアに運ぶ貿易立国として栄えていましたが、江戸幕府成立と前後して島津藩が琉球へ侵攻して支配下におきます。島 津藩は琉球と中国の交易に目をつけ従来通り琉球と中国の交易をはかるために琉球が中国へ朝貢(臣下としての礼を尽くすこと)を認めます。そのため琉球は島 津と中国両方に仕えるという両属国家として江戸時代を過ごします。明治に入って、西洋の影響を受け、国家意識が強まると、琉球の中国にも属し日本にも属す るという曖昧さが許されず、琉球の帰属問題が日中間の外交問題に浮上し、結局は明治12年琉球処分という形で琉球は日本の1県として日本に併合されます。 しかし琉球は中国との関係が長く、中国に2年に1度の割で進貢使を派遣してきたこともあって中国との交流の過程で多くの漢詩文類が作られました。琉球文化 の基幹ともいうものですが、明治以降の日本化などのためほとんど顧みられず、図書室の一角で眠っているのが現状です。このまま消えてしまうのを惜しみ、私は この埋もれた琉球の古典を復活すべく今回刊行に踏み切った次第です。

琉球古典漢詩と呼べるものは大半は琉球の官吏が中国に行きそこで詠んだ漢詩類からなるのですが、外に日本で詠んだものもあり、漢詩としての文学的な 価値とともに歴史上、地誌的な価値もあると思われます。どうしても単価が高くなりますが、貴重な文化遺産の継承と位置づけ、これからも順次刊行していく所 存です。どうぞご支援賜りますようお願い申し上げます。

 

 

    

    

 

 

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