(有)オフィス・コシイシは比叡山への車での上り口、南滋賀遺跡の近くにあります

七世紀寺院跡からは、布目の瓦が出土し、それを作った人の槌音が聞こえてくるような所で、仕事をしています。

和本出版・文書解読・編集 

比叡山の麓に位置することから、古文書の解読・製本を初め、過去帳や教本など社寺向けの和本の編集・製本を主に業務としています。また七世ころ近くに近江朝が置かれ天智天皇により戸籍の原型が作られたことに縁があるのでしょうか、各地の行政書士各位より家系図の製本依頼を受けて、折り本など和本形式の家系図製本を行っています。近くに勧学堂跡とされる礎石が残っており、当社の位置する字名も「勧学堂」である所から、「勧学堂論語」として、論語の普及に当たりました。現在は論語の書籍(電子ブック含む)の販売による活動のみとなっております。

 

○和とじ館の運営:朱印帳を初め、各種和本作成の和とじ館を同所で運営しています。詳細は→京都和とじ館 

 

業務(製品)案内

古文書解読事業

倉(蔵)に古い書き付けが残っている、何と書いてあるのかわからない。古い家系図があるが墨字なので読めない、困った。
こんなお悩みはありませんか?お任せください。当社は家系図の製本、和本の製本を行っておりますが、江戸期やそれ以前の古文書の読解も行っております。活字に直し、和文の専門家・漢文の専門家が、必要に応じまして現代語訳もいたします。さらに和紙に印刷して、和本に仕立ててお納めいたします。

旧家・名門家の古文書だけではなく、博物館・郷土資料館等に眠っている古文書も当社専属・契約の専門家が読解いたします。特に江戸時代刊行されました書物は、まだ一部しか活字化されていません。この機会にどうぞご利用ください。

詳細は→こちらより

論語の普及事業 (勧学堂論語普及会)

2006年5月に論語の普及を目指して、小社のあります天智天皇近江朝の旧跡勧学堂跡の名を借り、勧学堂論語普及会を設立し、論語の普及にあたってきました。「論語読みの論語知らず」と言われますように、世の中に出回る「論語」の多くは、都合のよい箇所のみを集めた抜粋本で占められています。「論語」はわかりにくい漢文の一つですが、抜粋ではない全文を読む、との信念で始めました。江戸時代学問が盛んであった佐土原藩で用いていた論語を底本に、原文を掲げ、すべての漢字にふりがなをつけた読み下し文、現代語訳を付けさらに音声による講義形式で、多くの論語解説者の異なる意見なども付しています。現在は下記の書籍等による活動のみです。

当所はパソコンで読み聴きする音声ブック「一日一章の論語」として出発。その後、文字で読みたいとのご意見を入れまして和本論語を作りました。これは和本を開き。付属のUSBあるいはCDで音声解説を聞くことのできるものです。発売当初は「五冊本和本論語(全)」のみでしたが、価格を抑えた三冊本の「普及版和本論語(全)」の二種類を刊行しています。いずれも音声で解説が流れる「耳で聴く論語(全)」が付属しています。

「耳で聴く論語(全)」:CDまたはUSBに論語(全)の音声解説を入れています。パソコンや音声読み出しデイスク(iPad やウォークマンなど)にコピーし音楽を聴くように聴くことができます。また論語の全文をPFDF化したものを同じCDまたはUSBに入れていますので、パソコンやタブレットで表示して音声解説を聞くこともできます。(耳で聴く論語の視聴は論語普及会項目の「耳で聴く論語(全)」より出来ます)

  詳細は→こちらより

 

和製本事業   詳しくは→京都和とじ館 へ

社寺関係の過去帳や経本の編集から製本。

江戸期作成の系図本の複製事業。巻物や折り帳の制作。

個人様からの歌集や俳句集などの少部数出版。

印刷会社等より和本製本の受注。

(有)オフィス・コシイシ刊行書籍

改定・征台の役従軍記 電子ブック(PDF版) 

 発行年月日:2016.3.15改訂版  ISBN 978-4-901453-26-4 
  USBメモリーに納める 2860円(税込)送料サービス 


明治7年(1874)に、行われた明治新政府最初の海外派兵を扱う。台湾南部域に出没する海賊を掃討するのを名目として行われた事件(征台の役・台湾出兵とも)をアメリカの若き新聞記者E.H.House (ハウス)が従軍し記録し、刊行した書物を翻訳したものです。
この事件には東京日々新聞の記者・岸田吟香(画家岸田劉生の父)も従軍し、従軍記を東京日々新聞に連載し、人気を博しますが、ハウスの記録は冷静沈着に事態を記録しており、記録性が高いものです。この事件で調達された武器などが、やがて西南戦争の時に発揮され、明治日本軍の確立に貢献してゆきます。また同時に台湾をめぐって、清朝との意見衝突などが生じ、日清戦争の遠因の一つにもなっていきます。
原題は「THE JAPANESE EXPEDITION TO FORMOSA 」征臺紀事  

◎本書内容
1874年(明治7年)明治日本政府は初の海外派兵を行なう。世に「征台の役」とか「台湾出兵」と呼ばれるこの事件に、米国の若き新聞記者ハウスは、日本初の従軍記者として参加する。そこで見聞した事を「THE JAPANESE EXPEDITION TO FORMOSA 」と題して1875年(明治8年)東京で刊行する。当時から幻の本とされていたこの本を、今回「征台の役従軍記」として、ここに訳出したものである。歴史家必須の資料であるとともに、当時の日本をとりまく国際情勢、台湾での暮らし、動植物など、一般の人にも興味深い内容となっています。

 申込みフォーム →こちらから 申込番号 B202 (必ず確認のメールを差し上げます)

 FAXでの申込み 077-521-2521 

 ※料金は書籍をお送りする時、郵便振替用紙(ネット振り込み可)を同封します。それにてお願いいたします。

 


Star Lore of Japan The Starscape of a People

日本語版タイトル=日本の星の言い伝え・人びとの星景色

 北尾浩一著 FUJII HIDEO(藤井英男)英訳  2400円(税込)    

日本各地で、古老の口から語られていた星にまつわる伝承を、星の伝承研究室主宰・北尾浩一採取し、当時アメリカ在住の藤井英男が英文で仕上げ、アメリカで発売したものです。星の話と、友禅布を表紙とし和本仕立てで人気を呼び、改めて日本語訳(解説)をつけて、日本で刊行しました。海外への贈り物としても大変喜ばれます。A5版 日本伝統の和本仕立てです。 詳細は→こちらより

北尾浩一 1953年、兵庫県生まれ。大阪教育大学大学院教育研究科終了。星の伝承研究室主宰。芦屋  在。『ふるさと星物語』(神戸新聞総合出版センター)『星と生きる-天文民俗学の試み』(ウインかもがわ)
 『日本の星名事典』原書房

Hideo Fujii(藤井英男)1988年に渡米。1998年計算機科学で博士号を取得。現在ソフトウェアの各国語化の仕事に従事する一方、天文関連の翻訳出版に取り組む。マサチューセッツ州アムハースト在。長い米国生活を終え、平成も最後の年(2019)春、日本に戻る現在京都府木津市在。

申込みフォーム →こちらから 申込番号 B301  (必ず確認のメールを差し上げます)
 FAXでの申込み 077-521-2521
 ※料金は書籍をお送りする時、郵便振替用紙(ネット振り込み可)を同封します。それにてお願いいたします。

 

 

 

おきなわ民話の旅 (第三版)  1980円(税込)送料200円

   え:EMIKO.K 

全ページ和紙と表紙を琉球伝統文様の布を用いて、京都の伝統和本技術で仕上げました。本格的な現代和本です。サイズB6  第三版 2012年4月刊行 

フィリッピンの海岸からポツリと落ちた椰子の実一つ。ぷかぷかと黒潮にのって、北の島々に向かって流れ始めます。与那国、黒島、八重山の海岸にたどりつき、島の話を聞き、再びプカプカと宮島古へ、沖縄島へそして奄美へと流れていきます。昔から沖縄や奄美で語られてきた島々の話を、OKINAWA生まれのEMIKOの鉛筆画で彩ります。表紙に琉球の伝統文様柄布を採用、京都伝統の和本技術によって仕上げたきれいな美術本です。2001年刊行の初版本は、週刊誌アエラ(AERA)2001年8月6日号でも紹介されました! 

   詳細は→こちらより

え・EMIKOプロフィール

沖縄浦添市で生まれる。首里高校卒業後、名古屋のデザインスクールでデザインを学ぶ。現在大津在。和とじ館で和本職人として活躍中。       

 申込みフォーム →こちらから 申込番号B302 (必ず確認のメールを差し上げます)

 FAXでの申込み 077-521-2521 

 ※料金は書籍をお送りする時、郵便振替用紙(ネット振り込み可)を同封します。それにてお願いいたします。

 

 

 

琉球古典漢詩 以下の二点があります。

1.蔡大鼎集(さいたいていしゅう) 1997年11月刊行

 体裁:A5版2冊組/1060頁 上製化粧函入 蔡大鼎 訳者:輿石豊伸 定価27000円

2.林世功・林世忠集(りんせいこう・りんせいちゅうしゅう)刊行:1999年8月

 A5版 上製化粧筐入 林世功・林世忠 訳者:輿石豊伸 定価7700円

概観

琉球漢詩について:現在の沖縄県は、明治12年琉球併合によって日本の一県沖縄県となりますが、それ以前は琉球国として、江戸時代、日本の薩摩藩に従属しながらも中国清国に朝貢するという、世界でもまれな両属国家として歩んできました。当時琉球は二年に一度、中国へ進貢使を派遣しており、中国に渡った琉球官吏は、中国の詩人たちと交流し、日本漢詩でもまた中国漢詩でもない、独特の漢詩を生みました。形式的には日本流の訓読詩であると同 時に、中国音でも読まれ、内容的には、故郷を離れた羈旅詩と、航海を中心とする海洋民族詩を両柱とし、琉球音楽にもみられる情感の高い詩が特色と 為っています。日本で刊行されたものと、中国福州で刊行されたものがあり、江戸時代はよく詠まれていたようです。

1「蔡大鼎集」は、江戸時代末期から明治にかけて活躍した琉球出身の詩人蔡大鼎(和名 伊計親雲上=いけいぺーちん)の残した漢詩集『閩山游草』 『續閩山游草』 『北燕游草』(中国で刊行)の三漢詩集にあるすべての漢詩655首に注と現代語訳をつけた初の本格的琉球古典書です。

2「林世功・林世忠集」は、科(こう)と呼ばれる国費留学生試験に合格し、琉球国最後の国王尚泰(しょうたい)より中国北京の国子監に留学のため派遣された二名が、福州の地で現地の詩人より指導をうけて詠んだ詩を集めた『琉球詩録』(徐幹監修)掲載の漢詩を、現代語訳したものです。林世忠は学半ばに亡くなりますが、林世功は四年の留学を終え、無事琉球に戻り、皇子の教育係に就いたり、出世の道を歩みます。なお派遣された留学生は四名でしたが、二名は早く亡くなっています。

蔡大鼎と林世功

蔡大鼎は林世功の先輩格にあたり、通事(中国語通訳官)としてともに幕末から明治初にかけて活躍した琉球の官吏です。大きく運命が動くのは、明治9年(1876)のこと、日本に明治新政府が成立した後も、従来通り中国との関 係を続けようとする琉球に対し、その関係を断つよう圧力がかかります。琉球尚泰王は日本の圧力を跳ね返すべく密使を中国に派遣。蔡大鼎と林世功は向徳宏とともに密命を受けて中国へ渡り、中国に滞在して琉球国の窮状を訴えます。明治12年(1879)4月4日琉球国処分により、琉球国は日本に併合され、沖縄県となりますが、蔡大鼎、林世功はそれでもなお、琉球国の復興を願い、清国へ軍の派遣を要請するなど、陳情 活動を続けました。陳情が聴き入れられないのを憤った林世功はついに毒を呷って自害して果て、それからも陳情を続けた蔡大鼎は異国中国で客死します。蔡大鼎はこの陳情の日々を記録した『北上雑記』という雑文を残してい ます。

    両書は絶版となっていますが、興味のある方は→こちらを

 

 

  • 〒520-0011 滋賀県大津市南志賀1-11-24 TEL077-575-2912 FAX077-521-2521
  • 比叡山へ車での上り口の里にあります。